料理と建築は似ている
貴晴
由比に質問。いつの間にか由比が料理をするようになったよね。
由比
そうね、子どもが生まれて離乳食を作るようになって、まじめに料理するようになった感じ。それまでは仕事が忙しくて、家でちゃんとごはんを作って食べるのは週末くらいだった。手塚(貴晴)が料理できるから「やらなかった」というのもあるけど、さすがに子どもが生まれて、自分もしないわけにはいかないと思って。
貴晴
なぜこんな話をここでするのかというと、フェイスブックにも書いたことがあるんだけど、やっぱり食べものを作ることは文化的な大切さがあって、それが建築とよく似ている部分でもあると思う。その辺の話を一度したいと思って。由比の料理の裏話を先にすると、結婚した時、いきなり削り節を煮込んでいたよね。
由比
結婚する前に通った料理教室で、そういうやり方を習ったから。
貴晴
「そんなことをしちゃいけない!」って言ったら真っ赤になって怒り出し、それで何日もケンカが続いて。それでも由比はだしの素や、顆粒のブイヨンを使うわけですよ。「だしをとって」と言ったら「そんな時間があるわけないじゃない! 私はだしをとるために生きているわけじゃない」それは、まだ子どもがいなかった時の話だけどね。
――手塚家では、ちゃんとだしをとられていたんですか。
貴晴
うちは母親がいつもだしをとっていた。料理をするのが好きなのと、家族に食べてもらう喜びがあったんだと思う。東京会館の料理教室にも長いこと通って上のクラスまでいったみたいだけど、完璧な料理というわけじゃなく、わりと自分の好き勝手に作る感じ。時には手の込んだフランス料理を作ってみたり、いわゆる家族に寄り添う料理とはちょっと違うかもしれないけど、一生懸命作っているんだなっていうのは、僕ら子どもたちには伝わってきたよね。
あと母の実家は博多で、そこも凝っていて。正月になると大変な騒ぎ、雑煮はあごだしで作るとか。そのあごは一晩水につけておいて、絶対ゆらしちゃダメ。空気が入ると酸化するからとか。干し椎茸も一日かけて静かに戻すとか、やたら細かくて。代々伝えられてきた大事な出来事だったんだと思うけど。そういう様子を小さい時から見ていて、僕も同じように料理をするようになったのかもしれないね。