母親の姿を見て育つ
貴晴
子どもの頃、うちの母親はきれいな人だなって思っていたんだよね。八千草薫のような感じ、それがある時期からたくましくなっていった。僕と妹を残し、料理の材料だけ置いて、泊りがけで山に行き出すようになったの。父親は仕事から夜、帰宅するんだけど。
――高尾山とかですか?
貴晴
違う、違う、日本百名山とか。はじめはちょこっと、その辺の山に行っているんだなって思っていたんだけど、ある時、東京都の美術館で絶壁のところから陽がのぼっている母の写真があって「これどうやって撮ったの?」とびっくりして聞いた。で、気がついたらザックの後ろにアイゼン、ピッケルを刺して出かけるようになっていて。山の名前を聞くと、とんでもないところに登っているとわかった。冬の八甲田山とか、スイスアルプス、モンブランに行ったり、そういうことがあって僕が妹のために料理をするようになっていったんだよね。チャーハンとかを作りはじめたらおもしろくなって、留学したら本格的に自炊をするようになった。由比のお母さんは、よく面倒をみる人なんだよね。
由比
そうね、なんでもしてくれた。料理はもちろん、お菓子も作るし、ひどい時は宿題を手伝ってもらったりして。私はわりと勉強が好きで、家の手伝いとかせずに、母がすべてやってくれた。だから結婚する前に慌てて料理教室に行って。
貴晴
僕と由比の父親は同じ職業で、建築設計をしていたから似た家庭環境なんだけど、大きく違うところは育てられ方だね。由比は手とり足とり大切に育てられ、僕はほっとかれた感じ。正確にいうと兄が障害をもっていたから、そっちで精一杯だったんだと思うけど、兄のことが落ちついて手が離れたら、7つ違いの妹はメチャクチャ手をかけられたみたいだね。
由比
うちの母も、手塚の母も、料理好きだけど、根本的な違いはだしをとるか、だしの素を使うか、かな。うちはわりと平気でブイヨンなんかも顆粒を使っていたから。