数値じゃない!
貴晴
今、法律がどんどんおかしな方向にいっています。
僕らは、軒の長さを長くしたいと思っていて。ほんとだったら2mくらいまでほしい。今は1mまでに制限されていて、それ以上軒を長くすると建蔽率をオーバーしちゃうから、ちょっとしか軒がつくれないんです。
昔の建物より軒が小さくなってしまったのは、法律のせい。軒が深ければ、つばの広い麦藁帽子をかぶって歩いているようなもので、けっこういいわけです。雨の日でも、けっこう気持ちがいいし。沖縄の〝雨端(あまはじ)〟の空間のような豊かな暮らしができる(雨端とは、外でも中でもない軒下のこと)。断熱のこともいいけど、僕は軒が深くできる法律がとっても大事なんじゃないかって思っています。
「空調を効きやすくする試みじゃなくて、空調を使わなくていい試み」そういうことを考えられる世の中になってくれるといいなと。
由比
数値に現れるところだけで、快適性を評価しようとするから。それを研究しようとする人は、数値に現れるところだけ、何℃で空調をつけて、という細かい話になります。
でも、人間ってそんなに単純なものではなくて。すうっと風にあたったり、暑くてもそっちのほうが気持ちがよかったり、草木なんかの緑がチラッと見えたりするだけでも癒されるし、そういういろんな要素がいっぱいあるから、数値で割り切れないところ、感覚的なところを大事にするのが、必要だなって思って設計をしています。
貴晴
今、世の中の動きは、木より、太陽電池のほうが大事になっちゃっている。木を切って、太陽電池の用地をつくっているでしょ。『ふじようちえん』を批判する人から、あの大きな木があるから、太陽電池を置いても効かないと言われた。おかしいですよね?
木があるから、冷暖房を使わなくてもいいのに。法律の観点というか、その人たちの基準で物事を考えると木は切って、太陽電池をのせて、その太陽電池で冷房を効かせればいいと。太陽電池なんかより、木があることのほうが、はるかに大事で快適なのに。
人っていうのは、温度だけをもらっているのではなく、温度にともなってくる風とか、光の動きとか、そういうものを全部総合して快適だっていう考えがあると思うんですよ。
「これから先は塩分を控えめにしないといけないな」と、カリフォルニアで醤油の塩分を下げるきまりを議会が行ったことを知っています? おせっかい! 別に、醤油を飲むわけじゃないでしょ。でも数値的に見ると多すぎるわけです。
だけど物事は総合的に、見ていかなきゃいけない。食べ物ってそうじゃないですか。塩分は控えめでも、うまくできるものもあると思うし、そんなに制御したものでなくてもいいはずなんですよ。
人間って、自分のハートに聞けば、ちゃんと答えがあるはずで、みんな自分のハートに聞かなくなっちゃっている。目の前にいい景色がある。なんで外に座らないの? そのあたり前の感覚がなくなってきちゃっているなって。