パブリック

人は、都市の街路樹がどうだとか、いろいろなことを言います。街路樹も大事だけど、それ以上に大事なのは、町の多様性です。端的にいうと、ゴチャゴチャ感。

きちっと整理して、公共の空間と、民の空間をきれいに線をひいて、ここから出ちゃダメだよというより、どっちでもない感じというのが、むしろ大事じゃないかと思っていて。
日本は公園にしても、公園のまわりをフェンスで囲みます。夜、危ないからというのはわかるけど、ほんとは、ここにフェンスなんかいらないんじゃない、というところまでフェンスで囲っちゃうわけです。

その公園の隣に住んでいる人は、公園にテーブルと椅子を出してもいいと思う。だけど、夜になったら、ちゃんとかたづけてくださいね、というきまりをつくればいい。そしたら誰よりもその人は公園を大事にすると思う。あるいは、公園前にあるお店が、テーブルと椅子を外に出してもいいといったら、やはり店の人はその公園を、人一倍掃除するでしょ。そういう、どちらでもない空間ができあがると、町としては、むしろいいという気がします。

でも現実は、お店が公園に接していても、公園に向かって開いてはいけないという法律があって。公園はみんなのものだから、一部の人がそこで得をしてはいけないという平等意識、ほんとはみんながどんどん、開いていけばいいのに。すると、「ああ、いいね」っていう感じになっていくと思うです。

Spece For Everybody Is For Nobodyと僕は英語でよく言っています。「みんなのための空間は誰のものでもない」つまり、日本の公共というのは誰のものでもないものを、つくろうとするわけです。みんな平等にしようと思って。

公園がみんなに対してもっと開いていたら、みんなの目があるから大事にしなきゃいけないと思うんですよ。日本は、パブリックという概念がないんですよ。みんながどうしていいかわからない。だから、こんな町になっちゃったんじゃなかなって。