温度のはなし
『屋根の家』というのは、新建築という雑誌に初めて、たくさんの人間が写真に登場した作品なんです。それまでスケールとして数人の人が写っていたことはあったけど、コンセプトとして大勢の人が写真にデカデカと出たのは珍しかった。新建築では「そんなことはない」って言うかもしれないけど、我々が覚えている1990年代はそうではなかったですよ。
当時の新建築の編集者、豊田さんだったかな、彼は「屋根の家というのは、人がいないとおもしろくない」と。建物だけでは、機能しない家だから。それで、屋根の上で人が騒いでいる、おもしろい情景の写真が載った号ができあがったわけです。
次の号に、その『屋根の家』の月評が出ました。何かというと、前号に掲載された建築のコメントをするという、コラムがあるんですよ。
で、『屋根の家』は、写真はいいけど、作品としてはイマイチじゃないかという辛口の批評でした。我々より上の世代で、お世話になった人が書いたもので、「屋根の上って、夏は暑いじゃない。冬は寒いでしょ。使わないよ、こんなの」と。こんなおもしろ、おかしくやって雑誌に載せるというのは、罪なんじゃないかって、そんな内容でした。それを『屋根の家』の施主、高橋さんが読んで「違うよ、ほんとに使っているんだから!」と息巻いて。
『屋根の家』は、その年の吉岡賞という賞をいただきました。新建築の中で、一番おもしろい住宅作品を選ぶ審査会で、それに選ばれた。その授賞式の席で高橋さんが「夏、暑いにきまっているじゃない。暑いから朝早く、屋根の上に出るんですよ。そうすると涼しい。冬は寒いにきまっているじゃない。だから昼頃、あったまってから屋根の上に出るんですよ」と話をしてくれました。
かつて人間というのは、気持ちいいところを自分で選んでいた。猫も気持ちのいい場所を選んでいるように、そういう感覚を大事にしないで、環境を自分のところに近づけようとするから無理がある。端的にいうと、冷暖房をしなくてもいいんじゃないかって。『屋根の家』ではクーラーを設置したけど、結局使っていないと。年に一、二度、動作確認でつける程度。冬は薪ストーブで暖をとって。
建築の議論がある中で、一番危険なのは、どうやったら建物を簡単に冷やせて、その冷気を逃さないか。冬の寒い時、暖房の熱を逃さず、どれだけ中を暖かくできるかを考えていく。ほんとは、そんなものはいらないんじゃないかっていう議論なんですよね。
夏暑い時に、人は海に行く。ビーチの砂は50℃。鉄板で目玉焼きが焼けるくらい熱くなる。それで、冬は山に行く。マイナス20℃、スキーをしにわざわざ行く。人間ってバカなんだけど、人ってそんなもんじゃないのという話なんですよ。