ほんとうの豊かさ①
由比
豊かさというのは、温度のように数値化できない。その数値で表せないようなところを、大事にすることにほんとうは意味があって。でも、そういうことは、あたり前すぎて、学問にならないんですよね。じつはそういうことはあまりわかっていない。
何℃から何℃までとか、わかるところだけを切り取って学問にしている。意外とあたり前のことって、生活の中で智恵としては持っているけど、それをやることは、専門家がやるとはずかしい。逆に、それはあたり前だからやらないところがあって、そういうところに建築家がちゃんと気づくのが大事だなって。
貴晴
そういうものを評価する時に、僕がよくするのは、「どうして、このスープがおいしいか」っていう話です。
家の中に古いテーブルがあって、スープが置いてある。「このスープは、なんておいしいんでしょう?」と、科学者に聞いてみる。「そうですねぇ、このスープには甘みをもたらすのに、これだけのブドウ糖が入っていて、そこにグルコースも入っていて、タンニンも含まれていて・・・、ちょっと調べてみましょう」と言って、その分析された数字を見る。でも、どんなにやっても、なんでおいしいのかがわかんない。
同様に、延々と分析して研究するのは、今の建築の中でも、いっぱい起きていることだと思うんです。どうしておいしいのかわからないんだけど、とにかく数字を一生懸命、追いかける。
その時、その家のおばあちゃんが、すごい簡単に答えを出すんですよ。「どうしてこのスープがおいしいかって? あたりまじゃない。外の寒いところ帰ってきて、暖かい部屋の中に入って、テーブルと椅子があって、あったかいスープがある。私はね、あんたを育でてきたんだから、あんたが何のスープが好きだか知っているんだよ。だから、おいしいにきまっているじゃない」と。これって、すごくバカバカしいようだけど、じつは、それは物事の本質なんですよね。
おいしい、おいしくないというのは、絶対的な数字ではないんです。まわりとの相対的な関係で、その関係性の中で、物が成り立つ。そのうまいスープもね。
突然、コンクリートの部屋に連れ込まれて、アルミのカップか何かに同じスープを入れられて、飲めと言われたら、囚人食になっちゃうかもしれないわけですよ。どうしておいしいかというのは、それは、その状況による。そういうことなんです。